【PR】パブリックリレーションの日本での普及は戦後から
- cuaunited
- 2015年7月20日
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2007年頃から戦略PRという言葉が増え、PR(パブリックリレーションズ)という考え方自体が最近の様に見られていますが、このような考え方はいったいいつ始まっていたのか皆様ご存知でしょうか?
※上記で言う戦略PRとは「戦略」×「パブリックリレーションズ」の事を指します。
パブリックリレーションズの導入について一般的に言われているのは、第二次世界大戦後、1946年以降アメリカから導入されたと言われています。
もう少し具体的な事を言うと、1945年9月~1951年4月までアメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)によって間接的な統治を受け、そのGHQから国民統治の方法の一つとしてパブリックリレーションズの導入を求められました。当時、部署名は日本語を使うという官公庁の決まりから、各府県ではそれぞれ「広報課」や「公聴課」といった名称をつけましたが、中央官庁は「広報課」という名称だったこともあって、次第に「広報」が主流になっていきました。
また企業においては“マネジメントはアメリカに学べ”という当時の風潮から「パブリックリレーションズ」略して「PR(ピーアール)」という名称が定着していったとあります。
ここからは私個人の意見ですが、日本では「豊臣秀吉」が最初ではないかと考えております。
世の中にある「風潮」を意図的に作り出す日本最初の広報誌を作ったのが彼だと考えているからです。
ご興味ある方は下記をご覧になってみてください。
-参考-
こう考えるとずいぶん昔からPR(パブリックリレーションズ)という考えたや手法があったのかと分かると思います。
現代ではよく言われる「情報爆発」という時代となり、SNSが普及して誰でも情報発信者になれ知らず知らずのうちに情報が共有されてしまいます。
情報をいつでもどこでも無料で大半が手に入ってしまうため顧客が賢くなり、多くの人に影響を与えることが難しくなってきています。
ですので「昔より効果がない。」と感じてしまうのではないでしょうか。しかしながら「人」が「第三者の意見を参考にする」という事をやめない限り「パブリックリレーションズ」という定義はなくならないと考えています。こんな時だからこそ、一度昔の手法を参考にし「PR」の「本質」を考え実行に移していく時ではないでしょうか。
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